初詣に・・・

京都方面にと予定していましたが、生憎朝からの曇り空に急遽予定を変更し、近隣の寺社詣でに行ってきました。
総持寺 西国33ヵ所第22番目札所にあたる真言宗の寺。1571年の織田信長の焼き討ちや天災などで、創建当時の建物の大半が焼失。現在の本堂は、慶長8年(1603年)豊臣秀吉の命で再建されたものである。総持寺を開いた山蔭卿は千日料理として有名で、包丁道の祖として崇められていることから、境内には包丁塚があり、毎年4月18日には包丁式も催される。(ベランダを開けるとちょうど総持寺の裏側が見えるのでいつもは裏側からお参りしています)
磯良神社(疣水神社) 古くから「疣水さん」と呼ばれ親しまれている。もと天照御魂神社の境内社でしたが、寛文年間(1661年〜1662年)に分かれ現在に至っている。神功皇后が戦に行く時、自分が女であることから、このままの姿では敵に嘗められるので、男装をし、顔をいかめしくするため疣を身につけようと思い、通りかかったこの神社に立ち寄り、祈願して社の前から湧き出ている清水で顔を洗いました。すると、美しかった顔がたちまち大きな疣だらけの黒い顔となりました。戦いが終り、磯良神社に戦勝の報告をしたあと、再び社前の清水で顔を洗うと、いままでの醜い顔が消え去り、もとの美しい姿に戻ったので喜び勇んで大和の王城に帰りました。後に磯良神社は、疣水神社と呼ばれ、遠くからもこの清水をくみ取りに来る人が見られるようになりました。 (孫たちの七五三ではいつもお世話になっています)
鴨神社 祭神 大山積神 由緒 『伊予国風土記逸文』では「大山積の神は仁徳天皇の頃、百済の国より渡り来て、最初摂津の国、御嶋の地に座した。」とあり、百済からの渡来人が祀った神のようである。『社の由緒』では百済武寧王を斯麻(しま)王と云い、御嶋の神、和多志の大神とされたとも記されている。『続日本紀』『延喜式神名帳』には、摂津の国嶋下郡の三島鴨神社の名が出てくる。 当地は嶋上郡と嶋下郡の境界付近であり、高槻市三島江2丁目の三島鴨神社とともに、式内社の論社。
                          註  説明は各ホームページより
継体天皇陵 (二十六代) いつもは道際までしか入れないのですが今日はずっと中まで入ることができました。
今年1年の願い事を祈願しましたが、年に1度のお参りにしては願い事が多すぎたかもしれません