終戦の年 1945年 11月4日の某新聞は・・・

買い出し  東京は秋日和上野動物園前広場で全国戦災者大会、米3合配給の即時実施、衣料品など生活必需品の特配要求を決議したあと首相官邸へデモ行進。
新聞は冬を前に食糧危機と配給を遅滞・混乱させている役所仕事のずさんさを批判した。この日の毎日新聞は「国民の死に無感覚」。「官僚的日本政府の無能ぶりの結果として経済的真空状態が形成されており、このため食糧、衣料、燃料等が国民の手元に流れて行くことができなくなっている」「今冬は日本人にとって働くか、さもなければ死あるのみという厳然たる事実に対し日本の現政府は全く無感覚である」……。
人々は買い出しで食いつなぐしかない。それを禁止している役所も半分目をつむり、殺到する乗客をさばくため臨時列車が走る。明治節(今は文化の日)と日曜日が続いて連休となった3、4両日で千葉、埼玉への買い出しに行く人は100万人という空前の数に上ったと。
3日朝には兵庫県国鉄福知山線古市近くで満員列車が炎上、死傷者58人を数える惨事が起きた。客が大風呂敷に包んで運び込んでいた缶入りのガソリンにたばこをつけたマッチの残り火が引火した。客車の焼け跡には米や芋などが散乱。これを最後まで持ち出そうとしたため出口がふさがり、多くの人々が逃げ遅れたという。 と言うような終戦時の今日の新聞記事を見ることができました。 
ワタシは幼かったのでこのような状況はわかりません。 ただこの記事によると政府の無能ぶり、役所仕事のズサンサは過去から続いていると再認識しました。 「食料危機と配給」は戦後の混乱時であったからと思われますが、未だに同状況の国があるのも事実で、「オカラのお粥と木の根っこ」が1日の食事だとも言われています。

この機会に「戦争・食料」について考えることも必要ではありませんか。